ローズマリィー

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2021/07/15

今回は私の現在まで生きてきた道のりをもう少し詳しくお伝えしたいと思います。
細かい事はたくさん、たくさん、あるのですが、これでも随分削っています。
私は幼少の頃から、その時々のちょっとした先の未来がわかってしまったり、例えば「この時は〜こうなる」と先が読めてしまったりなど、そして誰かと会話している時も、相手が言葉にしてしゃべっていなくても相手がホントに普段通りしゃべっているかのように、他人の思考が見えてしまい、相手の考えている心の声がどんどん聞こえてきたりしたので、聞きたくない事もたくさんありました。
なので、それによって傷ついたり悩むこともありました。
でもだんだん大人になるにつれて相手のことを理解できるようになるので、ある意味では良かった。と思えるようになったんです。
そして、私は物心ついた頃から、空を見るのが好きで、蝶や花、木々などに触れたり、風を感じてコンタクトするのが好きでした。木々の緑やお花の香りを感じたり、鳥の声や川の水が流れている自然の音などに癒されるのです。
何よりも気持ちがリセットされるんです。
私が幼少の時に覚えていることというのは、私には兄と弟がいました。
兄も弟も甘えん坊で、わがままで、気に入らないことがあると、よくかんしゃくを起こして、地面に転がって泣きわめいていました。私は彼らをなだめて引っ張り起こして学校などに行かせるのは、私にとって大変なことでした。
私は三人兄弟の真ん中なので、あまり、両親に手をかけられず・・・というか、幼少の時から何でも自分でできて、兄と弟のお世話をしていたそうです。
私も子供ながらにそんな兄弟を見ていると学校にも遅刻しちゃうし、手をかけて何でもしてあげたくなっちゃうんです。でも地面に転がるのは私も小さいながらに「勘弁してヨ〜」と思ったりして、私は誰からも「しっかりしてるね〜」とよく言われちょっと大人びた子供のようでした。
朝起きてからの生活といいますと、母は特に家事など食事の支度など忙しそうにして私たち、子供たちの(特に、兄と弟)幼稚園や小学校の準備や着替えなど大変そうでした。
その頃、私は幼稚園に通っていたのですが母の姿を見ていて「ホントに大変そうだなぁ〜」と思っていました。
私もできることはやりましたが、でも、私も幼稚園生なので「いっしょに着替えさせて〜」と甘えて、泣いていると私の大好きな、やさしい不器用な父が私の着替えを手伝ってくれました。
私はこの時、父にしてもらった嬉しさと、母にかまってもらえない淋しさを思い出し涙がでてしまいました。そして私のインナーチャイルドを癒すことができたのです。私のインナーチャイルドに「私が母に嫌われてたんではなくて、母があまりに忙し過ぎて、かまってもらえなかっただけでお母さんは、やってあげたいと思ってたんだヨ。」と。父はとてもやさしくて、大好きだけど、その時の私は、やはり子供としてはお母さんに、甘えたり、かまって欲しかった。という思いがあり、根本の部分では、私は両親にとても愛されていたという事を私のインナーチャイルドに伝え、ハグして、愛と光で満たし癒してあげる事ができました。母のその感情も小さかった私はわかっていたけど、実際に抱っこしてもらったり、触れて欲しかったという奥の感情が出てきました。このインナーチャイルドの癒しは随分前にもやっていたのですが、又、その時の感情を思い出し、涙が出てしまいました。
朝は毎日こんな調子で時が過ぎ、ある朝、その日はたまたま近所の人がゆっくりと私をバイクで幼稚園につれて行ってくれることになりました。うしろに乗って、つかまってたんだけど、イヤな予感がしていました。

気がつくと私は病院のベットに横になっていて、ベットの両サイドに父と母がいました。私はケガをしていて、頭や手など包帯でぐるぐる巻きで危篤状態でした。魂がぬけ出て体外離脱している私は痛みはなく、とても心地よく幸福感がありました。その後日数がたち、両親が私を抱っこしたり、私は、上から両親の会話を
聞いていました。私の浮遊しているこの意識不明の状態が3週間ほど続いたそうです。お医者さんには「このまま戻らないかもしれません」と言われていたそうです。
子供ながらに死ぬということは「こういうことなんだ」と自分で経験してわかりました。
私にとっては、この3週間の間、両親の愛情が感じられ安心したのでした。
その後、年数がたっても体外離脱を繰り返しました。
私の体外離脱は、とても心地良く、三次元では感じることができない幸福感がありました。独身の時は、波動が低かったせいか不成仏霊をしょっ中見ていました。
結婚してからは、なかなか子供に恵まれませんでしたので、私は自分の波動を高め高次元の存在に子供を授けてください。とお祈りをしていました。お願いしていたところ、妊娠し、待望の娘が生まれとても幸せでした。
子供をもつ喜びや幸せを感じることができました。
でも娘の出産の時は、陣痛が52時間でその後帝王切開になりました。出産までの時間が長くなり、帝王切開で生まれた時には危ない状態でNICUの新生児集中治療室にしばらく入っていました。でも状態が良くなってからはすくすくと健康に育つことができました。
この時、お世話になった佐藤先生にとても感謝しています。佐藤先生はとても優しく良くしてくださって、ほんとうに感謝しています。
娘を無事に生かして下さって。
その後二人目もなかなかできなかったので、私が又、高次元存在に「もう一人、子供が欲しいんです」と。上で待機しているのはわかっていましたけど。
「男の子を授けて下さい」と、祈りました。高次の返事は私に、初め映像で見せてくれました。それは、点滴台5台に体中、点滴だらけの赤ちゃん。他に機会がベット回りにあり、大変な状態を見せてくれました。そして又、高次の方から「これでもいいんですか?子供は授けるけど、それでもあなたは、大丈夫ですか? 育てられますか?」というメッセージが降りてきましたけど、私はそんなはずはない、と思い、自分に「絶対、大丈夫」と言いきかせました。すぐに妊娠することができました。息子は生後3ヶ月程したら、下痢がひどくなったので近所の個人病院に何件か連れて行きました。
先生たちは、みなさんおっしゃいます。
「何でもないです。赤ちゃんの便は軟らかいですヨ」と。
でも、親の私は「何かが違う」という思いにかられました。
もう、夜です。でも「大きな病院に絶対、行くんだ。」と、思い、行きました。遅い時間だったけど、以前娘を看て下さったあの佐藤先生がいました。「良かった!!」夜遅いうえに検査もして下さり、結果は「急性骨髄性白血病」と病名を告げられ、この病院では治療ができないからと更に大きな聖路加国際大学病院に今すぐに行かないと「もう命が危ない!!」と言われすぐに救急車で行きました。佐藤先生も一緒に救急車に乗ってくださり、ずっと私をなぐさめて下さったり、気持ちを安心させようとしてくれていました。
その後、仕事の途中の主人が娘を連れてきて病院で合流しました。高次のメッセージ通りになりました。
聖路加で1才のBirthdayの日まで、全ての治療をしてくださりました。
ある時私と娘が病室から、ちょっと休憩しようと思い廊下に出たら、娘が私に言うんです「ママ〜、今ね拓君(息子)がゆうちゃんにバイバイって笑って、言ってたよ〜。ありがとう。ありがとう。って何度も言ってたヨ」と。
「あっ」と私は思い、体中に鳥肌が立ちました。
もう、そろそろだな。とわかっていたけど、いざその時になると、動揺してしまい正常に戻るまで時間がかかりました。
と、すぐに、NSさんが、私たちの方へ走ってきて「すぐ病室に戻ってください」と、いらしたのです。その時、私は、「あ〜良かった」と自然に思えました。
「やっと楽になれたね」と声をかけました。「こんなに苦しい思いをさせちゃってゴメンネ」
「良かった!!」とホントに子供のことを思う親の真実の言葉です。
娘もスピリチュアルに精通していたので幼少時は高次と繋がり映像や言葉で見ることができていました。
こちらの病院の先生やNSさん、ボランティアの方々には、もう、皆さん、素晴らしい方々で、ホントに良くして下さり天使のようでした。先生やNSさんがお休みの時にお出掛けになって、色々と息子の好みのおもちゃなど買ってきて下さったり、ある時は先生がディズニーランドに行かれて、大っきなミッキーさんのぬいぐるみを買ってきて下さったり、息子は足をバタバタして、すごく喜んでいました。
本当に「愛」が伝わってきました。私たち家族も勿論、病院で働いている方々、皆んなで、寄り添って、魂の成長がありました。でも、この後、又私たち家族の魂の学びが始まるのです。

私も強がっていても弱い部分もあって
この後、私は6年間の「うつ」に突入してしまいます。とても苦しい状況で、ここから抜け出したいけど抜けれないという状態。
私が、私の1才の永眠した息子のことで激しく落ち込んでいる中で、その私のひどい落ち込みを見ていた娘(まだ幼稚園生)も私の落ち込みを見て悲しんでいました。
ある時、娘が、私に「結(娘)ちゃんがいるのに拓君のことばかり考えて! 結ちゃんのこと見て!!」と。
私は娘をしばらく抱きしめてました。ごめんね。ごめんね。
私は「ハッ」としました。
「こんなに落ち込んでたらダメだ。しっかりしなくちゃ」と。その後、犬が2匹やってきました。
(ジャックラッセルテリア)リリィー♂
(ダンディーディンモントテリア)のマリノー♀です。
家族の協力もありましたが自分でもヒーリングでどよ〜んとしている波動を上げなくては、と思いやっていると、自然に気がついたら「うつ」を忘れていました。
ワンちゃんたちにもすごく癒されました。
その後、今度は私の兄、弟、父もそれぞれガンになりました。「これでもか。」という感じで又、私の病院通いが始まります。
もう私はある程度強くなっているので精神状態を保つことができています。
父は肺ガン、膀胱ガンで最終的には緩和ケア病棟で体も硬直していたので褥瘡感染症になって熱がでたり、仙骨部に大きなポケットができて、その中の骨まで見える位ひどくとても見るに堪えがたかったです。
そして40°以上の高熱が続いた時に体を動かせなくて、その間に関節が固まってしまいました。病院ではそんな状態でも(要介護5)ベットから落ちて大ケガをしたり、バルーン(尿道カテーテル)が抜けなくなったり、など細かいことは日常茶飯事で、大きな病院で処置をしてもらいますから。と、私が働いている病院に父の入院している病院からTELがかかってきたりして「〜がありましたから、病院に来てください」というTELは日常茶飯事だったので、私は毎回「行きません。」と言って行きませんでした。自分が働いている病院での仕事が中途半端になってしまうのと、とにかく、父は、父の入院している病院に全ておまかせの状態でした。そうしないとやっていけなかった。そのころの私の仕事は、病院で介護福祉士の仕事がメイン。お休みの日に、ヒーラーの仕事をしてから、父の病院や母の施設の掛け持ちでした。私は父の病院にお見舞いに行った時は、いつも髭を剃ったり、口腔ケアをしたり、爪を切ったり体を拭いてワセリンをつけて、体交して、そしていつも全身ヒーリングをしました。最後の時まで思い残すことがないように、私はA型なので完璧にやってあげたくて。そして自分も「やりきった〜」という気持ちで満足して帰れるんです。その後も兄も弟も肺ガンで最後は、末期になるとガンが背骨まで転移し麻痺がおこり、動けなくなりました。私は兄と弟にも父と同じようにヒーリングまでの流れを全部やり抜きました。後悔がないように。
だから死に目に会えなくてもいいと思っていました。
私は父も兄も弟も大好きで、入院している時はヒーリングを含む、ほぼ全てのケアをしましたけど、もっと話しかけてあげたり、一緒に楽しく過ごしたかった。
でも、亡くなってしまったご先祖様に毎日遠隔でヒーリングをして、霊界での環境が素晴らしいものになるように、ヒーリングをしています。いつもヒーリングをしているとご先祖様からメッセージなどきて会話をしたりしています。
弟は、特にとても離れがたく、やはり前世でも夫婦や恋人同士として生きていた人生が多かったので今世でも生前、元気な時は「恋人同士みたいですね。」と、他の方によくいわれてました。弟も兄も父の最期の時も又、「来世でも一緒に同じ家族になろうね」と魂レベルで約束しました。
縁のあるもの同士って、又、来世でも一緒になって又、色々と魂の学びをして。。。絆は消えてなくなるものではないと感じました。
その後、自分もガンになってしまいました。(大腸ガン)そして、重度のめまい。
「まさか自分が?」と信じられませんでした。めまいは発作がでると数秒、意識が薄れ、手足がしびれ、倒れて動けなくなりますので救急車で何度か運ばれてしまいました。
ガンの方は、先生に「あなた、もう少し遅かったら1年も生きられなかったですヨ」と言われ、若いうちは進行が、やはり早いそうです。

私も大腸ガンのOPEをしてから
5年、経ちました。5年経てば…と言いますが、
この間が何となく、スッキリしませんでした。
でも、私には、家族が、いる.
大事な、大事な、私の命に変えてもいい位の
宝物の娘がいる。大事な大事な そら(犬)もいる。
皆を悲しませたくないから私は、死ねないんです。絶対に。「だから 病気は、しない」
と、設定しています.
これまで 私は.がむしゃらに生きてきました.でも
がむしゃらに生きてきたけど大変さを感じず.
それが、あたり前でした・これらの出来事は、
私たち家族の魂の学びであり、私たちが選んできたもの
でした。今、現在、母は、施設におりますが私は、家族に
一生、捧げます。これからも。やりきった感があり、
しあわせを感じてます。
白血病で永眠した息子は、以前、コンタクトしたところに、
よると、みんなと一緒に、アセンションをするという経験をしたいが為に、どうしてもこの3次元に、来たかった。と、いう事
そして、来世では、娘の子供として 生まれてきてくれる。
と、いう事なので、私は、楽しみにしています。
「早く、会いた~い!!」

私は、障害(魂の学び)が、あると、どんどん、
やる気が沸いてくるんです みなさんも何かあっても
負けないでほしい・生きていたら.素晴らしい事かあったり、
素晴らしい人と出合えたり できるんですもの、
私はいつも 宇宙や天使.ハイヤーセルフなどの高次の存在
に、助けられ.サポートされて、生きてくることができました。
感覚を研ぎ澄ましていると、インスピレーションを受け取ること
ができます。その方が、何かあっても生きやすいんです.
瞑想することが重要になってきますが、又、次の時に
書かせて頂きますね。
苦しみをつくりあげているのは、本人。病気やトラブルに
見まわれたら、それに、集中して、更に、恐怖心を抱いてしまう.
そして、恐れを現実のものとして作り上げてしまう.
そして、この強い思い込みこそ改たな記憶の再生に
なってしまいます。記憶をゼロにしてクリアにして、
(クリアにすることが、一番大切)
見えてくるものは本来の自分と、ほんとうに、あなたが見たいものです。
私のこれまでの 体験により、何か感じて頂けるものが
あったでしょうか。参考にして頂ければ、これほど幸せなことはありません。
私のHPやブログを見ていただけますと愛のエネルギーが

溢れる程、流れるように設定しています「受け取ります」と
意図するだけで、受け取ることができます。
心からの感謝と愛をもって。。。

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ローズマリィー
〒273-0866
千葉県船橋市夏見台1-8-18 シャリエ403号
電話番号 : 090-4920-7940


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